■母親の匂い
168 名前:from薬・違法板 投稿日:03/05/28(水) 03:42 ID:5jC+0A1s
先日、母の日に実家に帰ったとき、ジョイントを持って行った。
兄に子供が生まれた関係で家は禁煙になっていて、俺の部屋も
物置き状態。母親の隣で寝る事になったんだけど、何か気恥ずかしくて、
母親が寝静まるまで、散歩したり、旧友と会ったりして過ごした。
夜の2時にベランダで一服して、布団の中に入った瞬間
母親の匂いがして、忘れてた記憶がどんどん蘇ってきた。
引っ越す前の家で、俺もまだ小さくて、自分の部屋が貰えなかった頃。
隣に寝ているお母さん、反対側にタンス、タンスにはやたらと
シールが貼ってあって、その上に象のぬいぐるみ、枕元は・・・
20年以上前の記憶が、母親の匂いに乗ってどんどん出てきて
布団の中でばれない様に泣いた。
お母さんいつもありがとう。長生きしてください。
■さっき田舎のババアの所から帰ってきた
7 名前:番組の途中ですが名無しです :03/05/01 13:20 ID:PAYsZDsT
さっき田舎のババアの所から帰ってきた
で、ババアはすでにボケてるみたいで俺の顔を見ると「あー、あー」とか言う
ババアウゼーと思う俺。で帰ろうとしたらババアがまた来て、何だよと思うと
その手には俺が小さい頃大好物だった鮭の皮の部分が握られていた・・・
■ソープってとこはいろいろな客が来るわけさ。
4 名前:お前みたいなのはコレ見て回線切って懺悔しろ 投稿日:03/04/20 11:14 ID:ebvA1U7Y
以前、ソープの従業員やってた者です。
ソープってとこはいろいろな客が来るわけさ。
女に不自由しないような男前の芸能人から、絶対もてそうもないオヤジまで。
ときどき身体障害者も来るんだけど、中にはきっつい客もいるんだわ。
テリー伊藤顔で、車椅子でよだれ垂らして体がねじれてるようなお兄さんとかね。
現実の世界じゃ1000年生きてても絶対女とやれないだろう、って人。
今でも覚えているのはみずきちゃんって女の子。
そういう客がきて、たまたまみずきちゃんしか空いてなかったから、
彼女についてもらうことにしたのよ。ふつう嫌がるんだよね。
ソープ嬢だって、仕事とはいえブサイクよりはいい男とやりたいわけだから。
でも、彼女はそうじゃなかった。偉かったね。
その客をひと目みて悟ったわけ。彼のこれまでの境遇、絶望的なコンプレックスを。
彼女は彼を抱きかかえるようにして、階段を上がるときも、
「足元、気を付けてね」って言いながら、優しくいたわるように個室に連れていった。
既定の時間が過ぎて、個室から出てきたそのお客さんは、
帰るとき、感極まった様子で「ありがとう、ありがとう」って言ってた。
ちゃんとしゃべれないから「あいあおう、あいあおう」って聞こえたけど。
めったなことじゃ感動しないオレが、不覚にも涙出そうになった。
彼女は、客を見送りながら、作り笑いじゃない本当の笑顔で「バイバイ」してた。
みずきちゃんみたいな女の子が、この世間にどれだけいるかな。
他人の心の痛みがわかって、優しくしてあげられる子は……。
彼女がもし死んだら、間違いなく天国に行くだろうね。
■・・・というわけで俺のマジ実話
958 名前:名無し職人 投稿日:03/04/20 08:57
突っ込みレスばっかりになってきたなぁ・・・
建前は実話だけどネタ話も少なくないんだからさぁ
かるぅ~く流そうよ
・・・というわけで俺のマジ実話
うちの親父はかなりボケが進み 脳味噌プリン状態
息子である俺の顔もわからんようだが台所に立たせると
スイッチが入ったかのように豹変し、マシーンのように一切無駄な動きをせずに
酢飯の仕込みから魚の捌きまでを黙々とこなし
現役時代となんら変わることのない熟練の手つきで寿司を握る
その時、親父には家族は客にしか見えてないようで普段のフガフガした口調とはガラリと変わり
威勢のいい声で「へいらっしゃい なに握りやしょうか?」
おかげで我が家は月に一度、達人の本格江戸前寿司を味わえるのであった
初めはボケの進行を抑えるためのリハビリの一環のつもりだったが
さすがは13歳から寿司を握り続ける父
ボケてもなお衰えぬその手さばきには感嘆を漏らすしかなかった
「ホントにあんたは寿司バカなんだねぇ」とは、いつも涙をぬぐいながら寿司を食べる俺の母の談である
■僕は76年生。
3 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10/09(土) 22:37:02.03 ID:2TGXsTh40
このスレ読んでて泣きたくなった僕は76年生。
ラケット&ゴムボール野球を「ハンドベース」と呼んでいた福島県人。
休み時間の男子定番になったのは小学5年から。
チームは固定されていた。25分の休み時間、チーム決めで時間は潰さない。
男子20人のうち、12~14人は毎回参加。
1チームは6、7人。うまい人から順に打つ。
ボールパークは昇降口前。校舎と校舎に挟まれた30×50M程度の空間。
校舎に当たってもそれをノーバウンドキャッチすればアウト。
ときどき窓が空いていて、校舎にボールが入っていく。
飛距離がありすぎて、屋上に入ったら試合中断。
誰かが100円を出す。消費税はまだない。
正門前の「佐藤商店」にボールを買いに行くのはクラス一足の速いオンダくん。
ボールを掲げて帰って来るオンダくん、それを迎える僕ら。
放課後、他のクラスとやることもあった。
一度、クラスの女子が見にきたことがある。
好きだった女の子の前でナイスキャッチとナイスバッティングができた。
そのコは九州に転校していった。
今は東京にいるらしい。僕も東京にいる。
■自分の髪に手紙を書こう
ハゲ・ヅラ板より【拝啓】自分の髪に手紙を書こう【お元気ですか】
マイ・ヘアーよお元気ですか。
ミノキ・フィナで命吹き返してくれた君たちだったが・・・
私が病気になり入院や治療で半年くらいミノキ・フィナ
使用できなくなってしまったこと、謝りたいんだ。
本当にすまなかったね。。。
今思えば・・・・・
死 ん で も い い か ら ! ミ ノ キ ・ フ ィ ナ
を 使 い 続 け れ ば よ か っ た 。
そうすれば、君たちは今でも元気に私の頭で優しくそよ風
に揺れていてくれたことだろう。
病気も完治し、ミノキ・フィナを再度始めたが、さっぱり戻っ
てきてくれないね。被爆でもしたんじゃないのか!?って
くらいのペースで抜けていく君たちを見ていると、精神が
崩壊しそうで平常心を保のに必死だよ。
巷では「リセット効果」などの言葉も聞くが、私の頭には
関係ないようだね、あははは・・・ちくしょう。
最近は桜の花びらが散っていく風景を見ていると涙が
止めどなく流れるんだ。
どうしてだろうね?
こんなにも美しいのに・・・・・
僕もそろそろ美しく散っていく時期なのかな?
近いうちに、君たちに会えるような気がするよ。
この青い空の上で・・・
■原因は
46 名前:名無しは20歳になってから 投稿日:02/12/05 13:39
そのときの部長はすっごく冷たくて、いつもインテリ独特のオーラを張り巡らせてる人だった。
飲みに誘っても来ることは無いし、忘年会なんかでも一人で淡々と飲むようなタイプで、
良く怒られていたこともあって俺はすごく苦手だった。
ある日のこと、部長の解雇を伝える社内メールが全員に届いた。
あのむかつく部長が居なくなる!!心の中でガッツポーズしたのは俺だけじゃなかったはずだ。
それから1週間後、部長の最後の出勤日。
退社のセレモニーが終わるとみんなそそくさと帰って行ったが
部長と俺だけは居残って仕事を片付けていた。
送別会の開催も自ら断った部長を苦々しく思っていると、珍しく専務から呼び出された。
しぶしぶ専務室に行くと、課長と専務が待ち構えていた。
俺はそこで始めて課長から「部長解雇の真相」を聞いた。
原因は俺だった。俺のミスの責任を全て部長がかぶってくれたらしい。
話を聞いてたまらなくなった俺は急いで部署に戻ったが、部長の姿はすでに無かった。
ふと自分の机の上を見ると、封の開いた買い置きのタバコ。すでに一本無くなってる。
横に添えられたメモにはこう書いてあった。
「これぐらいはいただいても良いはずだ」
俺にとっては無くなったその一本が、思い出の一本です。
■サッカーよ!
510 名前: 投稿日:03/02/11 01:10 ID:1fO89Ipk
≡ ∧_∧ ∧_∧
≡(#TДT)⊃ )Д`)>>サッカー
≡/つ / ⊂ ⊂/
何のためにサッカーを見ている?
漏れの友達はサッカーで身を削り削って削ったぞ
一瞬の興奮を手に入れる為にだ!愛するチームを応援する為だ!
サッカーを見る為に働いた!働きすぎて倒れて入院だ!右半身不随だ!
サッカーよ!お前が私の大切な友達の自由を奪った!
憎い!憎い!サッカーが憎い!
こんなにも憎いはずのサッカーなのに
友達は私にこう言うんだ
「再びサッカー観戦をしたい、だからリハビリ頑張らなければ!」
サッカーよ!俺はお前の為に生きる男を知っている
サッカーよ。選手の人生を、サポーターの人生を背負っていけ!
生きる意味を授けてくれ!。・゚・(ノД`)・゚・。
どこまでもどこまでも
■数年前、漏れが吉原で体験したこと。
69 なまえをいれてください Date:02/12/21 04:37
おい、もまいらちょっと聞け、このスレに関係ある話だ。
数年前、漏れが吉原で体験したこと。
入店して待合室に通されると、オバサンが数人の客と話をしていた。
スポーツ新聞を読みつつ聞き耳をたてていると、全盲の息子が筆下ろしをしたいと言うので
付き添いで来たらしい。
オバサン(以下母)は色々心配事を口にしていたが、話し相手の客数人は「大丈夫」「心配しなくていいよ」
となだめていた。
暫くたって奥から白杖持った青年と姫が待合室にやってきた。
革靴はピカピカで結構いい服をきている。この日のために揃えてあげたのだろう。
母はソファから飛び出して姫と軽く会釈したあと、「どうだった?いいこと出来た?」
青年「うん。よかったよ。このお姉さんのおかげで」
実は姫を指差すつもりが別の方向だったので、姫が素早く指した方向に移動。
母は顔をくしゃくしゃにして泣きながら「あんたよかったね~!!」と背中を何度もさすっていた。
客も拍手したり「よかったなあ」と激励していて、今まで無口だった893風の客まで立ち上がって
青年の肩をポンポン叩きながら「あんたも一人前の男になったぞ」と祝福していた。
姫も感動して泣いていた。実に素晴らしい光景。
涙腺の弱い漏れは新聞で顔を隠しながら泣いた。
■俺の妹は11歳下。
73 名前:名無しさん@HOME 投稿日:02/10/10 00:32
俺の妹は11歳下。おむつも替えたし、子供みたいな感じで兄弟とは思えなかったけど
やつが高校入った頃から少しずつ会話の量が増え始めた。
生来勘のいい女だからか、通じ合う部分がかなりあって、
恥ずかしながら俺から相談する事もあったくらい。
やつの幼稚園の頃の口癖は「お兄ちゃんと結婚する!」
大学入ってからは両親死んだ事もあって「お兄ちゃんが結婚するまでは安心できない」
今日、妹の結婚式。
バージンロードを腕組んで歩いて来た。
「ありがとう」は兄ちゃんの台詞だ、バカ。
すげー綺麗だったぞ、翠。幸せになれよな。
■君たちは異常でないと思う。
369 :名無しさん@毎日が日曜日 :02/10/05 08:32 ID:TwUbJR28
君たちは異常でないと思う。
礼儀知らずで図々しい奴らや、金の為に媚びてる人達、上辺だけのお調子者
の今の社会に順応した人達より、よっぽと素直で情の深い人だと思う。
今の日本人には欠けてる部分を絶対に持っている人だと思うよ。
ただ、この日本社会や習慣に順応出来ないだけで、それはおれも同じです。
おれは30過ぎの、いわゆる低学歴でまともな職に就いたことのないDQNな奴だけど
いっそのこと、言葉も通じない、本来人間の持つ暖かさや思いやりを
持った国・・・貧しい国でも構わないから引っ越したいくらいに思っているよ。
■日本初のオリンピック出場マラソン選手の金栗四三の話
2 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10/09(土) 22:23:53.58 ID:2TGXsTh40
スポーツ系なら自分は日本初のオリンピック出場マラソン選手の金栗四三の話を推す。
国内で世界記録を20分以上も塗り替えるような記録を出しながらも本大会では日射病で倒れ、行方不明扱いにされてしまった。
日本の期待を一心に背負いながら、それでも走りきれなかったことで、深い自責の念に駆られた。
それでも日本のマラソンの発展のために50年間尽くしてきた。
1967年、ストックホルムオリンピック委員会から「オリンピック55年祭」が開催されるので来てもらえないかという連絡が届いた。
式典後、当時のコースを懐かしげに辿る金栗。そして55年前にたどり着けなかったスタジアムに足を踏み入れた。
何故かそこには観衆と役員、そしてゴールテープ。思い出のスタジアムで念願のゴールテープを切った金栗。
『日本の金栗がただ今ゴール。
タイムは55年…。
これで第5回ストックホルム大会の全日程は終了しました』
■遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
273 名前:コピペ[sage] 投稿日:2006/02/27(月) 16:41:51 ID:7aWhUXlj [1/3]
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ……」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。
277 名前:コピペ2[sage] 投稿日:2006/02/27(月) 17:51:40 ID:7aWhUXlj [2/3]
>>274それは初耳だ。因みにこの文章の続き。
「パラオの統治者である日本軍」としては、パラオ諸島の小さな島・ペリリュー島の
民間人を“圧倒的不利な戦局”に巻き込んではならないと配慮したのだ。
そして船舶も乏しい中、空襲を避けて夜間に船を出し、住民の全員をパラオ本島に
避難させたのである。
そして日本軍はパラオを死守するために文字通り死を覚悟して戦った。
日本は圧倒的に不利だった。アメリカに制海権・制空権を掌握されている上に、
兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍という
歴然たる戦力差。しかしそれでもアメリカの上陸作戦史上最高の損害比率を
出させるほどに抵抗し、全く補給もなく73日間も守り通し、玉砕したのだ。
最期に『サクラ・サクラ』という電文だけを残して。
その戦いの甲斐あって最大激戦地・ペリリュー島での民間人死傷者はゼロだった。
戦争後に島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の
亡骸を泣きながら埋葬した。後にペリリュー島のオキヤマ・トヨミと
ショージ・シゲオが“ペリリュー島の玉砕戦”を、日本の国花・桜に託して
作った『ペ島の桜を讃える歌』は、今でも彼らに愛唱されているという。
そして当時を知るパラオの長老たちは今でも日本をこう呼ぶという。
「内地」
と。
280 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2006/02/27(月) 22:45:39 ID:z5jPNk4h
検索したらこんなのが出てきた。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/gyoku-pll.htm
ペ島の桜を讃える歌
激しく弾雨(たま)が降り注ぎ オレンジ浜を血で染めた
強兵たちはみな散って ペ島(じま)は総て墓地(はか)となる
小さな異国のこの島を 死んでも守ると誓いつつ
山なす敵を迎え撃ち 弾(たま)射(う)ち尽くし食糧(しょく)もない
将兵(ヘいし)は”桜”を叫ぴつつ これが最期の伝えごと
父母よ祖国よ妻や子よ 別れの”桜"に意味深し
日本の”桜"は春いちど 見事に咲いて明日(あす)は散る
ペ島(じま)の”桜"は散り散りに 玉砕(ち)れども勲功(いさお)は永久(とこしえ)に
今守備勇士(もののふ)の姿なく 残りし洞窟(じんち)の夢の跡
古いペ島(じま)の習慣で 我等勇士の霊魂(たま)守る
平和と自由の尊さを 身を鴻(こな)にしてこの島に
教えて散りし"桜花" 今では平和が甦る
どうぞ再びペリリューヘ 時なし桜花(さくら)の花びらは
椰子の木陰で待ち佗(わび)し あつい涙がこみあげる
戦友遺族の皆さまに 永遠(いついつ)までもかわりなく
必ず我等は待ち望む 桜とともに皆さまを