■「大人になったら私と結婚しよう」と言って退院してった
【昔を】みんなの馴れ初めをおしえて【思い出して】 その7
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213 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2013/08/29(木) 01:42:12.28
俺と嫁の馴れ初めは病院
俺も嫁も同じ小児がんで同い年ということもあり出会ってすぐに意気投合した。
病気は子供ながらに死ぬ可能性があると分かってたが、それでも完治すると
願って頑張っていたら嫁が無事完治し退院する事になった。
その時嫁は俺に「絶対に諦めないで。俺君も絶対に良くなるから。
それで大人になったら私と結婚しよう」と言って退院してった。
それから暫くして俺も退院したが再発し嫁も再発し、何度も駄目だと思ったが
数年前嫁とあの時した約束を叶える事ができ諦めていた子供もでき家族仲良くやってる。
214 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2013/08/29(木) 03:27:16.14
>>213
(・∀・)イイネ!!
いつまでも2人力合わせて長生きしてね
■今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
178 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10/10(日) 03:04:13.09 ID:87FHd7sw0
今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。
ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。
しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。
俺、立派な社会人になるわ。
■部屋に小包が届いた。
76 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10/10(日) 02:59:47.19 ID:87FHd7sw0
253 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2007/07/09(月) 04:28:27 ID:eOXZyVUH
何年か前、一人暮らしをしてた時、部屋に小包が届いた。一緒に入っていた手紙に
『○○様 お元気ですか、○○が家を出て半年がたちました。家の中は火が消えたようです
じちゃんも、○○の事をしんぱいしています
早くりつぱな看ご婦さんになって帰って来て下さい。
ばちゃんも元気だから、しんぱいいりません。
○○が元気でりつぱになるやうにばちゃんは毎日仏だんにおがんでいます。
気をつけて、また今度かえって来て元気な顔を見せて下さい。
ばちゃん より』
手紙には、折り目が付いた1万円が同封されていた、農家の嫁の少ない年金で、生活も楽じゃ無いのに…
読みながら、届いた漬物をかじったら…
急に帰りたくなって、婆ちゃんに甘えたくなって、わんわん泣いた。
死ぬ気で勉強して働いて、看護婦になって地元に帰った。
今もその手紙と一万円は大切に残している。
■ドラクエと私、そして伝説へ
174 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10/10(日) 02:57:58.22 ID:OOuZ+wLN0
☆☆☆☆☆ ドラクエと私、そして伝説へ・・・, 2008/11/8
By ****** - レビューをすべて見る
私がドラクエ1と出会ったのは、10歳になったばかりの小学生の頃でした。
自分が勇者となって、国王の命を受け剣を取って立ち上がり、悪の魔王と戦う。
そんな胸躍る物語に少年の心はおおいにときめき、時間を忘れて熱中したものでした。
2の発売を知ったときは、絶対買うと心に決めて、すぐに小遣いを貯金し始めました。
社会現象にもなった3の発売時の行列、あの中に少年の日の私もいました。
ハードがSFCになってからも、PSになっても、私の心は常にドラクエと共にありました。
冒険の書を開く時、私の心は本当の意味でドラクエの中に存在し、
そこで戦い、傷つき、立ち上がり、そして少年は成長していったのです。
今の私はドラクエが育ててくれた、私は自信を持ってそう言えるし、それを誇りに思っています。
しかしハードをPS2に移した8になって、私は始めてドラクエをクリアしませんでした。
仕事が忙しい、ゲームをやっている暇がない、そういう理由もあったとは思いますが、
私は「ドラクエを卒業する時が来たのではないか」と、初めて思ったのです。
私の成長を20年間見守ってくれたドラクエが、「もう一人でも戦っていけるよ」と認めてくれた瞬間でした。
ドラクエ9が発売されるNintendoDSを、私は持っていません。買うつもりもありません。
私がドラクエ9をプレイすることはないでしょうし、10以降についてもそうでしょう。
しかし私にはわかるんです。どんなに時が流れても、ドラクエはドラクエなんです。
私の愛した、そして私を育んでくれたドラクエに感謝の意味を込めて、☆5つを贈ります。
■うちの娘も一人っ子。
172 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10/10(日) 02:52:12.09 ID:87FHd7sw0
うちの娘も一人っ子。
いろんな人から「一人っ子は可愛そうよ,もっと生めば?」とはいわれる。
でも娘が3歳のとき、よかれと思って受けさせたおたふく風邪の予防接種の
副作用で髄膜炎にさせてしまった時、41度の高熱に苦しむ娘をみながら,神に祈った。
「私の生涯、子供はこの子一人で良いからどうかこの子を助けてください」と。
ちょっと育児失敗したかなあ。他の子供はもうこういうことができるのに。とか
思い通りに育たない娘をみて、次の子が生まれたらこうやって育てようなど考えてた
直後の発病だった。
罰があたって、この子を失うかもしれないという不安でいっぱいで
「とにかく命だけは助けて」と祈る毎日だった。
無事熱も下がり、恐れていた後遺症もなく元気で退院してからはしばらく
夜抱いて寝ていたものだ。思った通りに育たなくても、他の子ができることが
できなくても大切な可愛い我が子。
あの時祈った言葉に嘘はない。今目の前にいる娘がすくすく育ってくれるのが
一番幸せ。
神様との約束がずっと守られているから一人っ子のままなのだと思っている。
この話をするとたいていの人は黙る。
■ピクシー
70 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10/10(日) 02:49:01.86 ID:OOuZ+wLN0
ピクシーのJラストのヴェルディ戦。
前半終了間際突如スタジアムから音が消えた…本当に唐突だった。
でも誰もきょろきょろしたりしていない、僕らの目はピクシーただ一人に注がれていた。
スタジアムはピッチでボールをける音と選手の叫び声だけが聞こえていた。
スタジアムの時計が45分を指す頃、どこからともなく手拍子が始まった。
手拍子は瞬く間に広がり、ヴェルディサポ側のスタンドからも聞こえて来た。
はじめはバラバラだった手拍子が次第に一つに成っていった。
僕らは震えていた。思いがけぬ感動にただ震えていた。
僕らの後ろに陣取っていた女の子集団は泣き始めた。
隣の男の子は「チクショウチクショウ…」と繰り返し呟いていた。
そしてピクシーがふと足を止めた。
明らかにゴール裏のサポーターに目を送っているのが分かった。
僕らは先日のホーム最終戦で見たピクシーの泪を思い出した。
また、泣くのかい?ピクシー?
ピクシーが立ち止まったのはほんの一瞬だった。
次の瞬間ピクシーは凄い形相でチームメイトに檄を飛ばしていた。
ピクシーは泣かなかった。ただ何度も何度も額の汗を拭っていた。ただ何度も、何度も。
僕にフットボールを教えてくれたのはアーセン・ベンゲルだった。
そして僕はピクシーにサッカーのファンタジーを教えられた。
彼が初めてグランパスに来た時、彼は本当に寂しそうだった。
いつも怒っていた。何時も一人でボールを蹴っていた。
凄い選手だということは知っていたが、なんだか好きにはなれなかった。
そしてベンゲルがやって来た。
ピクシーは相変わらず怒鳴ったりオーバーリアクションで怒りを顕にしていた。
チームはドンドン強くなっていった。選手はドンドン自信を深めていった。
今までのグランパスとは全く違う、本物のフットボールを観せてくれた。
ピクシーはまだ怒っていた。でもそこに寂しさは漂っていなかった。
彼は間違いなく名古屋グランパスエイトのチームメイトとして、仲間を叱咤していた。
彼はもう一人ではなかった。
173 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10/10(日) 02:52:44.86 ID:OOuZ+wLN0
グランパスサポは幸せだと思う。
間違いなく、掛け値無しの本物を、ほんの一時期とはいえ観る事が出来たのですから。
ファンタジーの勇者達を、自分のチームとして応援できたのですから。
僕にはこの試合後半の記憶がない。
多分叫んでいたし、ピクシーの姿を目に焼き付けようと必死だったと思う。
でも何も覚えていない。
試合後のセレモニーで確かスーツ姿の小倉が出てきたのは覚えている。あの頃彼はヴェルディの選手だったか?
子供が出てきたことも何となく覚えてる。確か試合は3-1で勝ったと思う。
最後にピクシーはピッチにキスをした。
今では後悔しているのだが、その時僕は泣いていた。セレモニーなんて見ちゃいなかった。
泣きながら7年間を思い出していた。
4人で試合を観に行った筈が、気付くと僕は一人だった。
僕にとってピクシーがこれほど多くの部分を占めているとは思ってもいなかった。
今まで人前で泣いた事なんて数える程度なのに、帰りの電車でも僕は泣いた。
有難うピクシー。
ピクシーは本当に日本にきて幸せだったんだろうか?
僕らの頭にはいつもそのセリフが引っ掛かっていた。
最後にピクシーはチームメイトに担がれてスタジアムを一周していた。
彼は泣いていた。でも最後にゴール裏のサポに挨拶に来た時、彼は無理矢理笑っていた、顔を歪ませて。
掛け値無しの笑顔だった。最高の笑顔だった。
多分それが答えなのだと思った。
■世界の終わりに何をする?
【最後の】世界の終わりに何をする? part2【審判】
151
仕事ですよ。
郵便配達員なので、郵便を配り終えてから、
家に帰って家族と終わりの時を迎えます。
手紙を待ち侘びてる人が、いるだろうからね。
出来れば配り終わるまで、終わらないで欲しいなぁ。
■私たちは、元々親がおらず養護施設で育ちました。
67 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10/10(日) 02:41:30.96 ID:87FHd7sw0
私たちは、元々親がおらず養護施設で育ちました。
3つ上の兄は中学を出るとすぐに鳶の住み込みで見習いになって
その給料はすべて貯金してました。
そのお金で私は私立の高校、そしてさほど一流でもありませんが
大学へも行けました。
小さな会社ですが就職も決まり、兄への感謝を込めて
温泉へ連れて行きました。
ビールで上機嫌の兄に、「あんちゃんありがとう、
あんちゃんも遊びたかっただろう?」と言うと
「お前憶えてねえんか?『あんちゃん、俺、しあわせになりてえ』って
小6のとき言ったろ?それで決めたんだ、なーんも辛くなかったど
お前を『しあわせ』にしてやるのが俺の夢だったかんな」
自分ではそんなこと言ったなんて憶えてません。
思春期には、金髪で人相も悪く、クチャクチャと
音をたてて食事する兄を恥ずかしく思い、
そんな兄に学校へ行かせてもらうことへの
憤りすら感じてました。
その晩は23歳と26歳の兄弟が布団で抱き合って眠りました。
8年前のことですが、ネタじゃないんですよ
本当の話です。
■半分こ
166 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10/10(日) 02:35:24.54 ID:87FHd7sw0
長女(当時4歳)が幼稚園の行事の参加記念品だかで箱に入ったクレヨンのセットをもらってきた。
ところが、こともあろうにその日の夕方、見事に全部折っちゃった。
当然うちの嫁は激怒、しかられて長女も大泣き。それで、
「お前、なんであんなことしたんだよ?」
と聞いてみたら、
「○○ちゃん(次女、当時2歳)と ヒック
クレヨン半分こするって ヒック
約束したんだもん ヒック」
思わず長女を抱きしめた。
翌日、どこから持ってきたのか透明な容器に半分に折られたクレヨンが
きちんと全色分しまってあるのを見て、ちょっと目の潤いが多くなってしまいました。
■俺の養父に
162 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10/10(日) 02:22:18.42 ID:87FHd7sw0
今日よ
俺の養父におとんって言ってやったんだよwwwwww
そしたら養父がいきなり泣き出しやがったのwwwwww
そしたらどうよ?
俺もなんか突然泣き出しやがんのwwwwwwwwwww
真冬の縁側で男二人が会話もなく鼻水だらだら流しながら泣いてんのwwwwwwww
■俺が大きくなったら
我家は母子家庭。
もちろん裕福ではないけど、つつましく暮らせば
生活に困るような事もないような家庭のつもりだったのですが。
ある日、元々指輪など装飾品にそれほど興味のなかった私が珍しく
超々安物の指輪を気に入って購入した夜。
私「ねえ、これかわいいでしょ~?」(本当に気に入ってたから)
小4の息子「買ったの?」
私「うん、どう?」
息子「高かった?」
私「まっさかーー、500円だったかな」
その後、何故か息子は下を向いて黙ってしまい
どうしたのかと思ってたら
「俺が大きくなったら、すっごい高い指輪買ってあげるから」
って涙ふきふき言われてしまいました。
買えないから買わないのももちろんあるけど、我慢するほど
そういうのが欲しい私ではなかったのに
息子は、きっと勘違いしちゃったんだろうなって。
でもそんな気持ちが嬉しくて、私も泣き笑いしちゃった。
これから先、何があってもこの子がいてくれたら
乗り越えていける、って改めて思わせてくれた夜でした。
■俺は生まれつきスタミナが無くて、友達も少なかった
59 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2010/10/10(日) 02:14:56.22 ID:IvkF7wWl0
俺が小6のときの話
俺は生まれつきスタミナが無くて、友達も少なかった
そのせいでマラソン大会とかマジ地獄だった
そんな俺にやたらまとわりついてくる奴がいて
そいつは明るい性格でクラスの人気者
俺とは正反対の奴だった
そいつが俺はウザくてウザくて
話とかは受け流して関わらないようにしてた(向こうから来るけど)
そしてマラソン大会の日、俺は朝からテンションめちゃくちゃ低くて、
「今年も絶対途中で倒れるよなぁ」とか考えてた 毎年倒れてゴールできなかったし
そしてスタート 俺は案の定途中で倒れて、救護テントまで運ばれた
マラソン大会の後も授業だったのでその帰り、いつもどうり一人で正面玄関から出ると
ウざいあいつがマラソン大会のゴール付近に朝礼台おいて
そこにひも結んで立ってた
で、こっちに手招きしてるんだ
無視しようかと思ったけど一応行ってみると
「ゴールテープ切って!」とそいつが言うんだ
俺がそのゴールテープ(ひも)の真ん中を通るとひもが朝礼台からほどけて
俺がゴールした形になった
その後あいつが言ったんだ
「ゴールだ おめでとう」
俺は久しぶりに声出して泣いたね
そしてそいつに初めて
「ありがとう」って思った